支笏湖は北海道の南西部・石狩平野の南側に位置する千歳市にあります。千歳には古くから大きな集落があり、たくさんの人々が生活していて多くのアイヌ民族が住んでいました。
アイヌ民族=アイヌは、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族です。日本語とは系統が異なる言語「アイヌ語」を話し、自然界全ての物に魂が宿るとされている「宗教観」、祭りや家庭での行事などに踊られる「古式舞踊」、独特の「文様」による刺繍、木彫りなどの工芸など固有の文化を発展させてきました。元来は狩猟採集民族であり、物々交換による交易を行ない独自の文化をもっています。家(住居)(アイヌ語で「チセ」)は、(昭和期以降の学者らが)「掘立柱建物」と呼ぶ建築様式でした。
歴史をたどれば縄文時代までさかのぼることになりますが、北海道の開拓が本格的にはじまったのは明治になってからです。
それ以前の北海道の大部分は、アイヌが自然を敬い、自然を友としながら生活する舞台でした。
支笏湖も深くかかわりがあり「支笏」をはじめ多くの周辺の地名はアイヌを起源しています。
支笏はアイヌ語のシ・コツ(大きい凹地または谷)で、もともとは支笏湖をさすものではなく、支笏湖から流れでる千歳川の凹地をさす地名だったといいます。
ところがシコツは死骨に通じて縁起が悪いため、江戸時代にはこの川の付近の湿地にタンチョウがたくさん生息していたことから、鶴は千年にあやかって、めでたい「千歳」に改名されました。
そんなアイヌと支笏湖に関して伝説があるので紹介したいと思います。
北海道の鳥をつくった国道神(コタンカラカムイ)はものすごく大きい神様で、海に入っても膝小僧が濡れず、顔から上にはいつも雲がかかっていて見ることができないほど大きかった。
その国道神が支笏湖をつくったとき、さてどのくらい深くできたろうと中に入ってみると、深いのなんのって、海に入っても膝まで濡れない国道神も、ずぶずぶと深みにはまってしまって、大事な股間のものまでも水につかってしまった。
すっかり腹をたてた神様、せっかく湖に放した魚をみんなつかんで海に投げ返してしまった。
そのとき、たった1匹だけアメマスがかくれていて、つかまらなかったので、支笏湖にはアメマスしかすんでいないのだ。という伝説です。
※支笏湖にはもともとアメマスだけではなくハナカジカも生息していて2種類といわれています。
アメマスに関してもう1つ伝説があります。
「支笏湖アメマス伝説」といい,この口碑伝説は更科(1955)に記録されています。
「大昔支笏湖に大きな鯇(アメマス)がいて、それがあばれると 島がゆれて地震になるので、人間の祖先のオアイム ルシクルがそれを退治するために出かけ、魚扠で魚 を突くことができたが、魚の力が強くてついに魚に負けて湖の中に引き込まれて死んでしまったので、この地上にいることができなくなり、妻と二人の子供を残して天に帰ってしまった。それを苦にして子供達の母親 もまた天に帰ってしまったので、幼い姉と弟と二人だ けが残された。(後略)(美幌町 菊地クラ姥伝)」 いわゆる“アメマス伝説”の一つである.この地域では,浅い小さな地震(M4 以下,深さ 30km 以浅)が発生しているものの,最近の被害地震は報告されていない[総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会(1997)].しかし,支笏湖は樽前山や恵庭岳などの 活火山に囲まれており,樽前山周辺では 2003 年,恵 庭岳では1981年に火山性の群発地震(有感)が報告されている[気象庁(2005)].よって,この地域では過去において小規模の地震が頻発したことが推測され,この地域のアイヌの人々は,地震の原因をアメマスに例えて伝えたと考えられています。
支笏湖にはアイヌに関する伝説があったり、周辺の山や土地などにもアイヌ語由来のものが数多く残っています。
樽前山は「タオロマイ」と呼ばれ意味は川岸の高いところ
風不死岳は「フプ・ウシ」や「フップ・ウシ」、「フプシ」と呼ばれていて意味はトドマツのあるところ。
右が風不死岳、左が樽前山
恵庭岳は「エエンイワ」と呼ばれていて意味は頭がとがっている山です。
昔から変わらぬ美しさの支笏湖。
支笏湖温泉街にはアイヌにまつわるお店もあります。支笏湖にお越しの際は寄ってみてはいかがでしょうか。
参考
江戸時代の支笏湖
北海道における地震に関するアイヌの口碑伝説と歴史記録